気付いたら検事局にいた 「インスタントで構わないよね。」 「ええ。」 構うも構わないも、インスタント以外に口にする事もない。成歩堂の事務所で、浴びるほどに飲むものと言えば、出涸らしの煎茶くらいだ。 給湯室へ向かった牙琉検事の背中を確認して、王泥喜は後ろ手に閉めた扉に施錠する。カチリと鳴った音には無音の部屋にやけに甲高く響いたが、給湯室へ消えた相手から反応は無かった。 「…なんだ、これ…。」 改めて部屋の中を一瞥して、王泥喜は顔を顰めた。 部屋の中心に据えられたソファの上から、そのテーブルから書類が散乱している。勿論、重厚な造りの机の上も同じ有様だ。幾つか纏めてファイルの中に納めているところを見ると、整理の途中らしい。 「…にしたって、客を招き入れる状態じゃないよなぁ。」 頭をガシガシと掻いて、王泥喜は息を吐く。それを考えれば、牙琉検事がいかに動揺していたか、そう推察出来る。みぬく機能は、自分自身が酷く緊張しているせいもあって開店休業中。腕輪は、ずっと締まりっぱなしだ。 …それにしても…。 こんなに、荒れた部屋をみたのは初めてだった。 響也の自宅に飲みに行ったこともあるが、意外と綺麗に片付いていた。基本的に、綺麗好きなのだろう。切手を舐めると証言した時の異星人を見る目を思い出して、王泥喜はそう結論付ける。 ここまで荒れている原因。それが『成歩堂』にある事に間違いはない。強く感じると再び、口元に笑みが浮かぶのがわかった。 『アナタが、成歩堂さんと何をしようと俺には関係ありません。』 どんだけ、偽証だ。此処は法廷でなくて本当に良かった。そんな事を考えて書類を横に退けていると、ふいに手が後ろから伸びてきた。視線を向けると、苦笑いをした響也が立っている。 「座る場所、ないか…。」 「そんな事、ないですよ。」 両手にカップを持ちながら立っている響也に、ソファーの隙間に腰を下ろすと笑ってみせる。 そうして、カップをテーブルに置く為、前屈みになるのを見計らって、王泥喜は響也のシャツを掴んだ。最初から釦は、上から数個は止められていない。今度こそはっきりと目にした紅い痕に身体が熱くなるのを感じた。 「これ…成歩堂さんにつけられたんですか?」 クスリと笑って告げると頬が朱に染まる。それが、火に油を注ぐ。 周囲は書類だらけだ。カップの中身を零す訳にはいかない相手は動けない。王泥喜は容易く相手の身体を捕らえて抱きすくめる。辛うじて、カップをテーブルに置いた相手が反撃に転ずるより早く、壁と床の間に抑えつけるようにして、動きを止めた。 「何する…!」 「何をするのが相応しいのかわかりませんけど、貴方を滅茶苦茶にしたいんです。」 ぐと響也が息を飲むのが見えた。言葉を発しようとした唇を塞ぎ、味わう。 漏れ聞こえる苦しげな声も、息をする度に鼻を刺激する甘い香りも王泥喜の慾を加速させた。 そのまま、胸元に顔を埋めて自分以外の人間が残した忌々しい所有の痕を吸い上げる。強く吸うと、その度に響也はびくりと身体を震わせた。何度も繰り返した行為に赤い痕は何処までが彼のもので、何処からが自分のものか判別がつかない。けれど、自分のものに塗り替えたはずのそれにも心が穏やかになどならない。 痛々しいほどに赤みを増した肌に気後れして、強く抑えつけていた腕を外し、背中に腕を伸ばして抱き締める。 王泥喜の背に回されることのない響也の指は、シャツの肩を握りしめていたが抵抗する様子はない。翻弄されて、己を見失っているとでもいうのだろうか。 けれど、ぎゅっと腕の中にいる身体を感じていると、今まで確かに王泥喜腹の中にあった憔悴感が薄れてくる。奇妙な事だ。 「お…デコく…。」 はっと途切れる荒い息遣いの間に、呼ばれた名前も常なる渾名だったけれど、王泥喜の気持ちは不快にはならなかった。 そうして、理由が思い当たって笑いが漏れる。そんなもの決まってる。牙琉響也が自分の腕の中にいるからだ。多少の抵抗はするものの大人しく腕の中に抱かれていてくれるからだ。 「…ど、したの…?」 微かに震える語尾。肩に置かれた手が、同じ様に震えていた。 「僕を…滅茶苦茶にしたいんじゃなかったの…かい?」 「そのつもりだったんですけど…。」 胸元に埋めていた顔を上げると、この行為を行ってから初めて目が合う。碧い瞳には確かに恐怖の色も存在していたけれど、それ以上に真摯な眼差しが王泥喜を捕らえる。 この目は、決して真実から目を反らさないといってくれた時の瞳。信じていいねと、そう言ってくれた。だったら、言わなければと王泥喜は思う。自分の正直な気持ちを。 「どうも、嫉妬してたみたいです。成歩堂さんに。」 「え…?」 牙琉検事の瞳が大きく見開かれる。ぽかんと空いた口が、可愛い。 「アナタが、成歩堂さんと何をしようと俺には関係ありません。…って、俺言いましたけど、少しだけ訂正します。 関係あります、牙琉検事の気持ちが誰を向いているのかって事だけは。」 セックスは気持ちいいだろう。このまま先に進むことだって可能だ。でもそれだけの関係なら御免被るし、結局逃走されてしまいそうな気がする。 「掴まえちゃいたいんだと思います。」 誰かさんのヒット曲風に言い回すと、美人検事は大きく見開いていた目を細める。睨み上げる仕草が酷く綺麗だと王泥喜は思った。 百年早い。 当然のように悪態を口にしながらも、シャツを強く握りしめていた手は、王泥喜の肩から背中へと回された。それに答えるように、唇でゆっくりと相手に触れる。 最初に感じたものよりも、遙かに甘い香りが王泥喜の鼻を擽った。 content/ next |